救いと血とイエス・キリスト

一人でも多くの人がイエスを信じて救われますように

仏教を信じてはいけない理由 その2

仏教が説くような『極楽』というものはありません。

『お念仏を何万回唱えれば極楽へ行ける』というようなことを仏教徒が真に受けているのを見て、サタンはだまされやすい人間をあざ笑っていると思います。

 

人はアダムの子孫であり、生まれながらにアダムの犯した罪を引き継いでいるのです。

アダムの犯した罪とは、自分自身が神のようになる(自分の主が自分になっている)意識のことです。

あたり前のように、誰もがこの罪を犯しているのです。

 

従って、人は誰もが地獄がふさわしいということになります。

人間的な尺度で、他の人たちよりも自分は善人だから天国に入れるだろう、などと考えることは間違っています。

 

どんなに立派な人でも、どんなにきちんとした生活をしてきた人であっても、神を認めず、神を自分の主とせず、自分の考えで生きて一生を終えるのなら、地獄がふさわしいのです。

 

天国に入るための唯一の道は、イエス・キリストです。

 

エスは、人の罪の代価を自らが十字架に架けられて死ぬことで支払われました。

エスがわたしの借金の肩代わりをしてくれたようなものだと考えると理解しやすいかもしれません。この罪と呼ばれる借金の代価は死なのです。

わたしたちはイエスが私たちの代わりに罪の報いである死を引き受けてくださったことを公に信じるだけで救われるのです。神はなんと気前が良いお方なのでしょうか。

 

そもそも罪の値を自力で返済することは不可能なのです。死ぬしかないからです。

従って、イエスが十字架において流された血による救いを信じる以外に、私たちが天国に入れる方法はありません。言い方を変えると、これ以外に、私たちが地獄の刑罰から逃れる方法はないのです。

 

神からの特別な計らいにより、滅びから救われる方法を人類に与えてくださった、提示してくださった。これがイエスの十字架と復活です。

 

死んだ人が3日目に蘇った、という前代未聞の奇跡が、このことを証しています。

仏陀だって、普通に死んだのですよ。

 

エスの十字架により、私たちが救われたことを信じ、なおかつイエスの戒めを守って生きていくことが重要なことです。

 

神を怖れることは知恵の初めなのです。

人は、体も魂も地獄で滅ぼすことがお出来になる神こそ怖れるべきです。