救いと血とイエス・キリスト

言葉では言い尽くせない贈り物について神に感謝します

わたしに何をしてほしいのか

■マルコによる福音書 10:48~52
それから、彼らはエリコにきた。そしてイエスが弟子たちや大ぜいの群衆と共にエリコから出かけられたとき、テマイの子、バルテマイという盲人のこじきが、道ばたにすわっていた。
ところが、ナザレのイエスだと聞いて、彼は「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでください」と叫び出した。
多くの人々は彼をしかって黙らせようとしたが、彼はますます激しく叫びつづけた、
ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでください」。
エスは立ちどまって、「彼を呼べ」と命じられた。
そこで、人々はその盲人を呼んで言った、「喜べ、立て、おまえを呼んでおられる」。
そこで彼は上着を脱ぎ捨て、踊りあがってイエスのもとにきた。
エスは彼にむかって言われた、「わたしに何をしてほしいのか」。
その盲人は言った、「先生、見えるようになることです」。

そこでイエスは言われた、「行け、あなたの信仰があなたを救った」。
すると彼は、たちまち見えるようになり、イエスに従って行った。


今回、取り上げるポイントは、以下の問答です。
  盲人が「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでください」と叫んでいた。
  イエスは、その盲人にむかって「わたしに何をしてほしいのか」と言われた。

若い頃、おかしいなと思った箇所がここでした。
盲人が願い求めていることは、見るからに明らかじゃないかと思ったからです。
つまり、「目が見えるようになる」ということ以外に盲人の望みがあるだろうか、と思ったのです。
なぜイエスは、この盲人に「わたしに何をしてほしいのか」と、わざわざ聞いたのだろう、と思ったのです。

しかし、今ではそうは思わなくなりました。
なぜなら、イエスは何でもお出来になるお方です。
ならば、「目が見えるようになる」ことよりも、もっと良いことを望むことも可能です。

自分がこの盲人だったら、どう答えるだろうか、と考えました。

今の意識の自分であるなら、盲人である自分が
エスに「わたしに何をしてほしいのか」と問われたなら、
「はい。神の国に入らせてください」と、答えると思うのです。

■マタイによる福音書6:33
 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。